2018年08月30日

キリンレモンが「声優・水瀬いのりをCM起用」で再ヒットした必然

1: しじみ ★ 2018/08/24(金) 01:22:04.68 ID:CAP_USER.net

■動画
キリンレモン×水瀬いのり 特別編 アニメver. 「まっすぐに、トウメイに。」 MV #キリンレモンのうた #キリンレモントリビュート https://youtu.be/SAbAnmRFHyg


キリンレモン×水瀬いのり 「まっすぐに、トウメイに。」 MV #キリンレモンのうた #キリンレモントリビュート https://youtu.be/Xo2dIv0dkOY



■発売から90周年で、驚異的な再ヒット

今年発売から90周年を迎えたキリンレモンが、再び大ヒットを記録している。

ここ数年の売れ行きはピーク時の夏場でも月に30万ケースほどだったのが、リニューアル発売された4月10日以降突如として売れまくり、4月は95万ケース超えを記録。その後も通常の2〜3倍の60万ケース超のペースで売れ続け、リニューアル後の3ヵ月(4月〜6月)は対前年比266%の売り上げをたたき出している。

再ヒットの理由には、クラフト感を意識した新パッケージ、瀬戸内レモンピールエキスを使用した新たな味わいなどがあげられるが、なによりこれまでの常識では考えられないような広告戦略が成功したのが大きい。それもテレビなどの従来型のマス広告というよりも、ツイッターやユーチューブを駆使したSNS戦略が見事にハマったといえる。

実際、筆者もリニューアルしたキリンレモンのCMを見てみたが、これがなかなか憎い造りなのである。

「キリンレモン、キリンレモン♪」

「透明だった、世界も、わたしも。澄みきっていた、どこまでもまっすぐに♪」

ユーチューブでキリンレモンのメインムービーを見ると、まずこんな歌詞が流れてくる。誰もが一度は聞いたことのあるあのソングが、今風にアレンジされている。

聞き入っていると、いつか飲んだキリンレモンの味と、あのころ″の思い出が交差して、どこか切ない気持ちにさせられてくる。筆者のような人生の澱をため込んだ中年のおじさんにエモーショナルな感覚を呼び覚まさせるとは……、なかなか中毒性のあるムービーなのである。

(中略)

https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/9/4/-/img_9449bf330586503b1d92ac74f4682d6174258.jpg">https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/9/4/-/img_9449bf330586503b1d92ac74f4682d6174258.jpg
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56972
続く)


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〈大塚英志氏書評〉手塚治虫漫画を思想宣伝の道具にするな

1: しじみ ★ 2018/08/22(水) 12:44:54.89 ID:CAP_USER.net

【書評】『手塚マンガで憲法九条を読む』/マンガ・手塚治虫 解説・小森陽一/子どもの未来社/1500円+税
【評者】大塚英志(まんが原作者)

 憲法九条を変えるべきではないという本書の政治的立場にぼくは賛同する。
しかし、その上で、本書のようにその学習教材として直截の手塚作品を読ませることには違和を表明する。

 手塚作品は確かに戦争を主題としたものが少なからずある。
しかし手塚の表現は、まんががプロパガンダのツールであった歴史からの離脱として立ち上がった。
例えば、本書の解説で野上暁が言及した「勝利の日まで」は、手塚の戦争体験の反映としてのみ論じられるがそれは狭い理解だ。

 この作品は大政翼賛会が主導した戦時下のメディアミックス「翼賛一家」の自発的な二次創作として描かれ、同時期の「防空」を題材とした教育映画のまんが版として目論まれている。
そのことはいずれ本にまとめるが、「勝利の日まで」は、戦時下の少年である手塚の自主製作の翼賛教材だった。
手塚は自身が軍国少年であったことが記された日記も公にしていて、当時の彼が民主主義者であるはずはない。

 当然、そういう少年としてあった手塚を糾弾するのは無意味だ。
だからこそ、手塚少年を縛ったものから戦後、彼が自分のまんがを自由な表現として、いかに立ち上げていったのか、その果てに何がどのように生まれたのかを知ることが重要だ。
例えば「アトム大使」の初期構想ではアトムはアメリカの大統領の意で戦う戦闘ロボットだった。
しかし、完成した作品は和平大使のアトムの物語であった。

教材として示すならこのようなまんが家・手塚治虫のつくられ方であり、その中で彼が彼の表現をいかに自ら獲得していくか、その過程をこそ示すべきである。
描くことの自由の教材としてあらゆる作品はなくてはいけない。

 ぼくは作家やまんが家が政治的立場を有して当然だと思うが、同時に、表現を第三者がプロパガンダのツールとして用いることはあってはならないと考える。
全てのまんががプロパガンダのツールとなることは拒否すべきであり、プロパガンダに良いプロパガンダと悪いプロパガンダなどないのである。

※週刊ポスト2018年8月17・24日号
https://img2.news-postseven.com/picture/2018/08/book_tezuka.jpg">https://img2.news-postseven.com/picture/2018/08/book_tezuka.jpg
https://www.news-postseven.com/archives/20180816_735379.html


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